- | HOME |
政治家の品格
- 2005/10/11(火) 17:36:38
最近の政治家は品のない人が多いように思います。
道徳面でも国民の規範たるべき政治家に品の無い人が増えているというのは国家的にも好ましくないことです。「品のある人」というと立ち振る舞いが典雅で礼に適っている人のことを指しますが、「品格のある人」と言えばその賞賛の意は挙措だけではなく行動、信念、心映えといったものにも及びます。ここでは品という言葉を言葉遣いや物腰だけではなくそのような内面的な、または内面に由来する事柄にも適用するものとして、政治家の品格について例を挙げていきます。
品格の有無を論ずるには何か計器が必要です。そうでないと「クラシック好きの小泉総理は上品で、漫画マニアの麻生太郎大臣は下品だ。なぜならクラシック音楽が上品な趣味で、マンガは下品な趣味だ(と私は思う)からだ。」というような主観的に過ぎる判断を下してしまうからです。
このための計器として、塩野七生さんの語った品格の定義を用いたいと思います。それは「ある種のことは死んでもできない、というものを持っているのが品格ということである」というものです。この定義に従えば品格のある人は「死んでもできない、という行為がある」ことによって発見でき、品のない人は「死んでもできない、という行為がない」ことで判定できることになります。
この計器によって世の政治家たちを計ってみましょう。
私が以前聞いた話では、有名なケネディ兄弟は普通の政治家がよくする「軽く手をあげて群集に応える」というポーズを好まなかったそうです。これが事実であったとすれば、彼らは「軽く手をあげる」というポーズを「軽忽でみっともない」と考えていたのでしょう。これは些細なことですが、しかしこれもまた一つの品格の表れでしょう。(ただしこのエピソードには確証がありません。何かで読んだと思うのですが忘れてしまいましたので^^;)
本邦の政治家では、故・松村謙三氏についての有名なエピソードがあります。親中派で知られた彼が中国を訪問し、周恩来首相と会談した時のことです。周恩来が佐藤首相非難すると、松村氏は「佐藤首相は日本の首相です。私は日本人です。日本人の私の目の前で、日本の首相の非難をすることは断じて許しません」と言ったそうです。彼は佐藤首相の政敵であり、しかも中国に親和的な政治家でもあったのに、中国の首脳が佐藤首相を批判するのに怒ったのです。一本筋が通った立派な態度です。中曾根康弘閣下は彼のことを「理念一貫の清貧な古武士」と賞しています。松村氏を賞する立場に立てば、海外にいって自分から自国の首相の悪口を振り撒いてきていた岡田克也元代表は政治家としては論外に区分されるべきでしょう。
小泉純一郎現首相は不利を承知で衆議院を解散し総選挙に打って出た際のことを振り返ってこう言っています。「戦国時代には城が囲まれれば、大将が腹を切って部下を助けるということがあったが、おれはそんなことは絶対しない」「戦わないで降参するなら討ち死にを選ぶ」「わずかでも活路を見いだせればという気持ちでやった」と。(ソース:MSN-Mainichi9/22)
この件に限らずとも、彼が己の美学に拘る人である、とは多くの人の指摘するところです。彼の美学の内容は批判的に指摘されることもあれば共感を持って指摘されることもあります。本稿で採用している計器に従えば小泉現総理もまた品格のある政治家の一人です。
郵政民営化を掲げる小泉総理を戴いて何度も選挙を戦いながら、郵政法案を採決する段になると数多くの自民党議員が反対にまわりました。彼らのその後の姿にも品格の有無を見ることができます。郵政民営化に反対しながら、選挙で小泉自民党が大勝しそうだということになると反対していた参議院議員たちが賛成に転向しました。郵政法案に反対しながら、そのことで処分を受けるとは思いもせず、処分を受けてもなお自民党に未練がある姿をみせた野田聖子議員は最近「法案反対という自らの政治的主張は完敗した」 と述べ、郵政民営化関連法案に賛成する意向を示しました。(ソース:デーリー東北新聞社10/12)これらに対し、同じ反対派でも平沼昭夫議員は以前と同じく反対を貫く姿勢をみせています。(ソース:産経新聞社10/3)
平沼氏にとっては一度その法案に反対したからには「選挙で賛成の民意が示されたので賛成に転向する」ことが「どうしてもできないこと」であり、野田氏にとってはそうではなかったということでしょう。ただ平沼氏は信念を貫く政治家を演じているだけかもしれず、野田氏にとっての民営化賛成は彼女にとってより重要な政治的信念を貫くために敢えてした韓信の股くぐりかもしれません。だから一概に平沼氏は品格があり野田氏にはないと言い切ることはできません。
本稿での計器からは多少逸脱しますが、最近の若手政治家たちにみられるあまりにも挙措や言動が軽々しい振る舞いも、品格がないというべきかもしれません。孔子も「君主、重からざればすなわち威あらず。学もすなわち固からず」と言っていることですし、政治家は重々しくあるべしという古代ローマでの通念が現代日本でも認められるなら、軽々しい行いや振る舞い、言葉遣いや立ち振る舞いもまた品格の無い行為だと言えるでしょう。
例えば国会で「1通80円とか50円でラブレターが出せるというのはいい制度だ」と、発言として下らないばかりか、皮肉としても低劣な台詞を堂々と述べてみせた(しかも一蹴された)民主党の永田議員や、あろうことかクイズ番組に出演する議員などがそれです。永田議員に関して付け加えるなら「くるくるぱー」の身振りをしたことも軽々しい挙措と言えるでしょうし、私の目にはとても下品で幼稚に写ります。他に、(もう若手ではないかもしれませんが)社民党の福島議員の例の一件も、これについて詳しく論評することは控えますが、複数の意味で品格に欠ける話でしょう。
日本人にとって「品」は物事を計るための重要な計器の一つだったはずです。にも関わらず「品がない人」が道徳的にも国民の規範たるべき政治家にさえ増えてきていることは、日本人が全体として品格を失いつつあることの結果と象徴ではないでしょうか。政治家は国民の代表なのですから。ただ同時に、上これを行えば下これに倣うとも言いますので、政治家方には是非率先して襟を正して、国民に範を示して貰いたいものです。
テーマ:
- 政治・経済・時事問題 -
ジャンル:
- 政治・経済
この記事に対するトラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にコメントする
- | HOME |


この記事に対するコメント